航南私記について

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『航南私記』は、明治24年9月20日から25年4月10日まで、練習艦『比叡』で行われた海軍兵学校18期(61名)の遠洋航海について、乗員のひとりとして乗組んでいた広瀬武夫少尉(当時)が記したものです。
 経路は東京出発、グアムを経てオーストラリアに向かい、帰りはフィリピン方面から香港を経由して東京着というもの。乗り組んだのは艦長の森又七郎大佐をはじめ総勢361人。広瀬少尉は分隊士(分隊長の下につく若手士官。分隊とは艦内で編成される部隊のことで、陸軍で言えば中隊ぐらいの位置づけ)として乗り組み、士官候補生たちの指導に当たりました。

『比叡』について(他サイトへのリンク)

*ここで参照している『航南私記』は、昭和17年に教育社から刊行されたものです。
 詩歌の類は、なるべく原文のまま掲載するようにしています。旧字が出ない時のみ、新字にて表記しています。
 地名も基本的に原文のまま記載しています(漢字表記の時のみカタカナに変更)が、今と表記が異なる場合は、カッコで現在の地名を入れてあります。
 文章中に、現在の基準では不適切と思われる文言が入ることがあります。言い換えが可能なものは言い換えてありますが、当時の世相、考え方等を明確に表現する意味からも、削除や省略などは行っておりません。

*古文漢文赤点の人間が作成しているため、間違い等あるかとおもいます。ご指摘いただけますと幸いです。

 日程及び乗員はこちら↓

付記 参考資料

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 このブログを書く際参考にした資料です。

○ウェブサイト
Wikipedia
近代世界艦船事典
参拾壱 頁(みそひとのぺえじ)
海軍兵学校
maproom.org
Google Maps

○書籍
広瀬武夫全集(島田謹二・高城知子・司馬遼太郎) 講談社
改訂 ロシヤにおける廣瀬武夫 無骨天使譚(島田謹二) 弘文堂
海軍料理おもしろ事典(高森直史) 光人社
海軍食グルメアラカルト(高森直史) 光人社
写真で見る海軍糧食史(藤田昌雄) 光人社
世界地図帳 グローバルアクセス 昭文社(1997年)
情報世界地図97 国際地学協会(1997年)
中学校世界地図帳 帝国書院(1982年)
明治東京逸聞史 全2巻(森鉄三) 東洋文庫

○その他
海上自衛隊

明治25年4月10日 日曜日

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 神子元灯台を過ぎて1時間もしないうちに風向きが変わり、いきなり寒くなった。ただちに帆を絞る。
 剣崎灯台を6時45分に左舷真横に過ぎ、いよいよ『比叡』は全てのヤードを正し威儀を繕い勢い良く東京湾に乗り込んでいった。こうやって意気揚々と日本に帰るのは実に気持ちの良いことだが、考えてみれば、去年9月に同じこの湾を出た時は365人、それが諸野、弘瀬、中村、松岡の4人が欠けて今日こうやって戻った時には361人となっている。それがなんとも口惜しい。
 10時30分、羽根田(羽田)灯台を左舷正横に見る。遠くは富峯(富士)、函嶺(箱根)、近くは房総の諸山、東京湾の町や村の風光が皆笑顔で我々を迎えているかのようである。

 実に204日を費やし、14,914マイルの海路を経て『比叡』は今日この日めでたく品川湾に入り、「錨入れ」の一声高くズドンと左舷錨を投じた。時刻は今上天皇明治25年の春4月10日午前11時15分。これにてこの航海は終わりたり。めでたしめでたし。

航過一萬四千程 富嶽依然帶笑迎
今日平安是誰力 小臣先拜九重城

  送廣瀬武夫君之南洋   本間九介
水天一碧望渺茫 南海風光感慨長
瘴畑烟癘雨勿愴 朝陽紅處是故?

  次韻          廣瀬武夫

舷頭回首水茫々 一萬三千航路長
男子障害君識否 滄溟到處是吾?

明治25年4月9日 土曜日

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 午前3時45分、左舷艦首3点方向に汐見崎灯台の光を、4時40分には樫野崎灯台の光を認める。
 朝、総帆を伸べ各ロイヤルを展じたが、7時30分に風向が突然変わったのでただちに横帆を絞り縦帆を広げる。
 9時9分、風が再び艦尾方向に吹くようになったため横帆を展じたが、すぐにまた風向きが変わり縦帆とした。この後、何度もこれを繰り返すことになる。
 風力は強く5に至り、波も高く艦の動揺が甚だしい。

 午後6時45分に御前崎灯台を認め、8時にこれを真横に見て針路を変更。9時50分、神子元島灯台を望み、11時30分にはこれと並ぶ。
 正午の位置、北緯33度50分、東経137度7分。

明治25年4月8日 金曜日

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 快晴。
 午前1時45分、左舷艦首方向に日向大島の灯台光を認め、3時にこれと並ぶ。
 午後4時にはヤードを直し、トップスルを展じて高桁を備えゲルンスルをかく。

 正午の位置、北緯31度42分、東経132度53分。針路は北60度東に航程194マイルであった。

明治25年4月7日 木曜日

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 午前中に疾風が艦首方向から来るようになったため、縦帆を絞る。
 6時30分には雹が降り、後に雨に変わった。雨は7時にやんだが風が弱まる気配はなく、船は上下左右に大きく動揺し続けている。
 8時30分、右舷艦首方向にひとつの緑の島が伏しているのを確認。嬉しいことに、実に昨年9月20日以来初めて目にする我が日本の島であった。
 そして、これを皮切りに薩南諸島の島が次々と我々の前に姿を現わした。午後4時20分には『比叡』は口永良部島と並び、6時20分には硫黄島が左舷真横に来る。佐多岬、海門岳(開聞岳)などなど、まるで我々を笑って迎えるかのようにも見える。懐かしい日本の姿に皆興奮し、船縁にしがみつくようにして指を指し、あれやこれやと言いあった。
 7時25分には竹島を左舷真横にし、9時20分には佐多灯台の光を見る。夜に入って風は止み、波も穏やかになった。

 本日正午の位置、北緯30度16分、東経129度38分。針路北62度東、距離215マイル。潮流は北40度東に25マイルあり、黒潮に乗ったと思われる。

明治25年4月6日 水曜日

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 雨降る。
 午前に陸戦隊操練を行う。午後には縦帆を展じる。
 正午北緯28度17分東経126度11分。針路北66度東、航程215マイル。流潮真東に8マイル。

明治25年4月5日 火曜日

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 今日は微風となり、霧もほぼおさまった。
 午前に戦闘操練、本艦軍装哨艇配置操練を行う。
 午後2時に縦帆を転じたが、夜になってこれを絞る。

 正午の位置、北緯26度48分、東経122度31分。
 針路北48度東に225マイル。
 流潮は北緯56度東に16マイル。

明治25年4月4日 月曜日

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 午前10時に端艇軍装操練を行う。
 正午位置、北緯24度19分、東経114度27分。
 針路北51度東に151マイル。

明治25年4月3日 日曜日

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 曇り。
 午前に人員調査を行う。又候補生運用術試験あり。
 この日は風が強く波がやや高く、また濃霧のために正午に水平線を判別することができなかったため、天測を行えなかった。かわりに水深を測る錘を投じて位置を推定することにする。

 正午推測位置、北緯25度9分、東経117度15分。針路71度東、距離168マイル。

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